ちょっと 寄道。
豊年満作
24-1-5
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ
村の鎮守(ちんじゅ)の神様の 今日は めでたい お祭り日
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ 朝から聴こえる 笛 太鼓
今年も豊年 満作で 村は総出の 大祭り
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ 夜まで賑(にぎ)わう 宮の森
、、、
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ
一日を 終えて
夜の しじまを 小さく 小さく 聞こえてきます。
布団に入って 寝ている 子供達には
矢も楯も たまらない 音です。
今 すぐにでも 走って 行きたい 気持ちです。
でも もう 夜遅くて どうしようも ありません。
明日 起きたら すぐにでも、、、
そう 思いながら やっぱり 子供。
すやすや と 眠りに つきます。
笛の音が ちょっと 寂しそうに 聞こえます。
松喰鶴の図は 今や 最も ポピュラーなものですが この図を 見るたびに 浮んでくるのが この文句です。
松花伴鶴飛 
あまり 出会うことの無い 文句ですが
松花伴鶴飛 「しょうかつるにともなってとぶ」と読みます。
この意味は、
松の花が鶴の脚に
くっついて知らない場所に飛んでいき、それまで縁のなかった土地に松の子孫が芽生える という意味で
花嫁が 知らない土地に嫁ぎ 根を張り 子孫を作り 力強く繁栄していく。
という 目出度くも ロマンな おはなしです。
私には 松喰鶴と この文句が だぶさり 松喰鶴や 花喰い鳥 をみると 花嫁
の話を 思いだして 胸に グッ ときております。
ところで
よく 松に鶴 といいます。 が
鶴は 松には 巣はつくりません。
鶴は足の構造上けっして松の木にはとまることができない、 そうです。
帆立貝(ほたてがい)式古墳 24-2-27

茅原大墓古墳で発見された国内最古の「盾持ち人埴輪」=平成23年2月、奈良県桜井市(鳥越瑞絵撮影)(写真:産経新聞)
邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳近くにある奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳。考古学マニアの間でもあまり知られていない古墳が、邪馬台国の末路にかかわるカギを握るとして、近年の発掘で脚光を浴びている。一帯は3世紀後半の最古級の前方後円墳が多いが、茅原大墓古墳だけはなぜか4世紀末と飛び抜けて新しい。ヤマト王権は4世紀末に大阪平野に移動したため、王権発祥の地は一気に衰退したが、茅原大墓古墳は「卑弥呼の末裔(まつえい)」として最後の輝きを見せた。(小畑三秋)(産経新聞)
[記事全文]
茅原大墓古墳は、箸墓古墳(全長約280メートル)の東わずか500メートルに位置。全長86メートルで、後円部は72メートルに及ぶが、前方部はわずか14メートルと極端に短く、ホタテ貝のような形から帆立貝(ほたてがい)式古墳と呼ばれる。このアンバランスな形は、大王クラスが葬られた前方後円墳よりランクが下とされる。
ということ だ そうですが
それは そうでしょう。
では 大和朝廷は 誰に 滅ぼされたか?
これは 朝鮮からきた 外来人に 滅ぼされた。
なぜ やっつけられたか?
征服者は 鉄器を 持っていた。
日本の 土着民は 鉄器は 持っていなかった。
それでは 土着古代人の武器は なんだったか?
もちろん 石 やじり 竹 ですが もう一つ 貝です。
貝を加工して 刃物にした。 すなわち 武器にした。
とても 鋭利ですから。
今でも フェザー剃刀 というのがありますが 帆立貝のマーク。
でも 鉄には 負ける。
しかし この埴輪 なんとも 面白い顔を していますね。
根引きの松 は
この お正月の 風景として お馴染みですから 特に説明は 致しません。松の内、お正月、初釜と お使い頂けますが
もう一つ
若松より もっと 若い 根引きの松は 稚松 といいます。
この棗の デザインは 稚松繁栄図 といいます。
すなわち 松 を 大将の 将 に置き換えて 稚将繁栄図
又は 智将繁栄図 として 端午の お目出度にも つかいます。
日本人というのは 実に おくゆかしいものですね。
本年も 皆様の 御家門 ますます 稚将繁栄されますよう お祈り申しあげます。 23-1-8
楯彦の お雛さん。
24-2-15「楯彦はん お雛さん 御願いします、、、 」 と 表具屋が 御用聞きのように やってきます。 表具屋は まあいえば 画商のようなものです。 楯彦は 「ふうーん。」 と 何故か 浮かぬ顔。 「先生、たのんます。」 、、、 、、、 「お雛さんは 私より 花朝のほうが 上手いですわ。 すんまへんけど、その話 花朝に 頼んでやって くれまへんかいなぁ。」 弟子思いの 楯彦ならではの お話です。 |
虚無僧の話
尺八の 有名な曲ですが
れいぼ 【鈴慕】
尺八の古典本曲の曲名。中国、唐の高僧普化(ふけ)禅師が振りながら昇天した鐸(たく)(大きな鈴)の音を慕って作られた曲という。普化宗の各寺・各派に独自のものが伝えられた。恋慕(れんぼ)。
で
普化(ふけ)禅師は 虚無僧の 本家になります。
虚無僧は 首に 明暗 と書いた 頭陀袋を さげていますが これも 普化(ふけ)禅師の 行状から 由来したものです。
いろいろ 楽しい話がありますので 是非こちらから。

朱 という色。
朱は 厄除けの色。
朱は 魔よけ。
だから 鳥居は 朱塗だ。
まっかっか だから 太陽だ。
太陽に 生かされているから 人間の血は 赤いんだ。
だから エネルギーの 根源だ。
太陽の化身は アマテラスさんだ。
真っ黒け になった この世 では どうも 住にくうて いかんぜよ どうにかしろや。
というて
アマノウズメ が おもろい ダンスを やると 八百万の 神々が ケタケタ と笑った。
これを 聞いた アマテラス が なんごとやにゃあ。 と 顔を 見せた所、
タジカラヲ が 抱きついて 洞穴から 引きずり出して
やっと この世は 明るくなった。
朱は 赤です。
明るい は 赤るい。 朱るい。 ものごとの 始まり。
いや いや、、、、
八坂焼(やさかやき)
17世紀前半、京都東山八坂の陶工清兵衛が製した陶器。鳳林承章の『隔蓂記』寛永十七年(1640)に「四月六日 ・・・茶入作之清兵衛初同道茶入共
香炉香合掛車而作也」、「五月七日 下京之清兵衛(八坂陶工)今日初来・・・清兵衛為持参焼物香合壱ケ恵之、香合之上ニ寿字以朱書之香合也」、正保三年(1646)に「八坂焼梅之紋有之鉢」ほか、八坂の双林寺の近くにあったことが記されており、轆轤を使って茶入・香炉・香合・鉢などを焼き、交趾風な色絵付のものも造っていたとされる。
とありますが
ひなやが 紹介している 茶盌は 昭和前後の 新しいものです。
勿論 前記の 流れを 組んだものですが
そんな 大層な ものでは ありません。
それじゃ どんなものだ、、、
京都四条の祇園さん の 境内で 売られていた 土産物です。
清水の 陶工の 手慰みに ? もしくは 内職で 造ったんでしょう。
土人形も 一緒に 売っていました。
土産物で いくばくかの 商いになれば それなりに 誰かが 助かります。
ですから
茶道具 とうよりも 民芸品 といったほうが 正確です。
だから
ぶあつくて どてっと しています。
でも 一応 楽です。
しかし
楽茶盌 というよりも 土人形です。
まあ
要するに こんなんが ひなやの おっさんは 好きで 喜んでいます。
八坂焼は 戦後 まもなくに なくなっています。
私は 京都へ 良くいきます。
三条も 四条も 祇園さんも 良く いきますが そのたび 八坂焼が どの辺で 売っていたのかな 想像して 歩いています。
日が暮れて 帰る頃 ちょっと 寂しくなってきます。
ボスニアで最近エジプトのガザのピラミッドより大きなピラミッド 24-1-27
号外 24-1-24
青磁 桔梗(ききょう)香合清風与平
24-1-23
古くから格の高い青磁香合として賞賛された桔梗の香合。花弁をなした五角の造形で、胴には波状の櫛目。
優美な青磁作品。底は高台をなし、土見となっている。
『茶道筌蹄』に「桔梗七官」「桔梗形背高く横に竪筋あり」とあるように、七官青磁で、胴には波状の櫛目があり、数は極めて少ない。
形物香合番付では 小結に位し、昔から 茶人に 喜ばれたものらしい。
赤星家伝来 であったが のち 益田鈍翁の所蔵となった。
数学博士 岡 潔 24-1-20
日本人は こんな いろんな香合を 作って 喜んでいる。
見ようによれば 児戯に等しい。
こういう 香合を 一杯作って 香合番付まで 作って 喜んでいる。
ある意味 愛すべき 民族なのであるが
こういう 精神構造は いかにして できるのか?
と 昔から疑問に 思っていましたが
偶然に ネットで 楽しい 図 を見つけたので ご紹介します。
有名な 数学博士 岡 潔 です。
出典は
岡 潔 の生涯と思想 =心の根底にある「情」の世界= 横山 賢二
これは、横山賢二氏が岡家に行って、岡潔の生前の資料を見せてもらい、その中にたくさんの未公開、未発表の文献やらテープやらの存在を知り、本格的に研究し始め、7年ほどかけてやっとすこし言っていることの一部が分かるようになってきたという話であるようである。
その中に、岡潔博士の見つけた「人間の精神構造」の西洋人と日本人の違いの図
が実に興味深い。

職方 という はなし 竟求一閑24-1-18
茶の湯の 職方は 千家十職 というのが 一番 ということ なんですが
必ずしも そういう わけでは 決してありません。
千家十職 というのは 正確に言えば 昭和に 始まった 表流のセオリーで 他の 各流には それぞれに 立派な 職方がいました。
要するに
千家十職より 優秀な 職方は 星の数ほど いたんです。
残念なのは いました、
という 過去形 であることです。
もう 無くなりました。
まあ
かろうじて それらの作品が 残っています。
今日の この竟求一閑の盆も それです。
それも
ドンドン 消滅していきます。
その上に 後続の職方が 全く育っていないのです。
指導者の 不在です。
日本の文化は 憂うべき状態にあるのです。
原発 と 一緒です。 原発 と比例しているのです。
竟求一閑
人物紹介
この人は よく 千家十職の飛来一閑と 間違いますが 別人です。
姓は 吉田で 吉田一閑とか 竟求(きょうきゅう)一閑 といいます。
作者は茶道塗師で、一閑張を専門とし、浪速一閑とも いいます。
四代まで 続きましたが そこで 終わりました。
四代の息子 佐久穂さんは 塗師として 将来を嘱望されていましたが 第二次大戦で召集され ハイラルで 亡くなられました。
四代は 疎開先の 兵庫県西宮市 夙川雲井町 で 亡くなり 娘の恵美さんが 先祖より残されたっ作品を 守っていらっしゃるそうです。
夙川雲井町 というのは ひなやのすぐ近くです。
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん) 24-1-17
昨々年
藤村庸軒と北村幽安 合作の庭園! を 拝見してきました。
その名も
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)

堅田の浮御堂から 歩いて3分程の所に こういう奇妙な名前の旧家があります。
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)、、、
何と、藤村庸軒と北村幽安 合作の庭園!だそうで そして茶室。
借景は 勿論、琵琶湖です。 ふぅーーーむ。
まあ、静かな町でした。 静かな一日でした。

そうそう 忘れないうちに バス停の名に 勾当内侍駅 ??? 何処かで聞いたことのある? ・・・
パラパラきだしたので 今日は帰ります。 車窓より灰色の淡海を眺めながら。
カワセミの話 24-1-16
2代真葛香斎
かわせみ香合
カワセミの名称は
カワセミの「セミ」は古名の「ソニ」が「ソビ」に変化し、それが転じて「セミ」となった。その「ソニ」の「ニ」は土の意味で、ソニ(青土)からきた。また、近縁の「アカショウビン」などのショウビンもこの「ソニ」から来た。
カワセミは、それを表す(読む)漢字が沢山ある。川蝉、翡翠、魚狗、水狗、魚虎、魚師、鴗など[1]があり、川蝉はセミとは関係がなく、「カワセミ」の音を当てた漢字、魚狗、水狗、魚虎、魚師などの漢字はカワセミが巧みに魚を捕らえる様子から来た。
ということだそうです。
カワセミの 季節は 初夏ですが
あえて もっと限定すると 五月、端午の節句です。
カワセミは 渓流の 岩場や杭の上に 止まって 水面を見ています。
魚影を うかがって 魚を とりますが この鳥 狙った獲物を 取り損じることは ないそうです。
狙ったたら 必ず 取る。
一発必中。
掛物にも 一発必中 という言葉を 見かけますが 男子たるもの 心がけが大事。
しのもの言わずに 一発必中。
日本男児 がんばれ!
生田南水 と 花朝の親子。 24-1-14
生田花朝の お父さんは 生田南水 といって 学者でした。
略歴は だいたい
生田南水【いくた なんすい】
美術人名辞典の解説国学者・俳人。大阪生。名は宜人、通称を福太郎、字は子達、別号を夜雨荘・呦々居・百済・鹿鳴草舎、得田南齢門等。漢学を伊藤如石に、国学・和歌を岩崎長世・平尾寛正・渡忠秋に、篆刻を熊谷厳毅に学び、書画に秀でた。昭和9年(1934)歿、75才。
という具合ですが、
なかなかの 趣味人で 俳句も堪能で 絵も上手です。
そういう影響を受けて 生田花朝は 画家に なったんですが どうも 生田南水が 菅楯彦に 娘を 預けたような 形跡もあります。
勿論 生田花朝自身が 絵を 志したことは 間違いありません。
この生田親子も菅楯彦も 共通して いえるのは 俳句の 上手さです。
作意がなく 自然に 作っています。
プラス 教養がある。
いい時代だったのか いい世間だったのか。
来る雁。帰る雁 24-1-12
雁は秋分に寒地より来たり、 春分に帰ります。
単に 雁 といへば 秋の季です。
早春に 北の地に帰る鳥の中でも、 雁の別れは殊更に あはれ深いもののようです。
他に 季語としては
帰雁。
雁帰る。
行く雁。
雁の別れ。
春の雁。
いい句は いっぱいです。
帰る雁 田ごとの月の 曇る夜に 蕪村。
春の雁にたいして 秋の雁もあります。秋は
かりがね。
がん。
初雁。
雁渡る。
雁来る。
来る雁。
落雁。
雁鳴く。などです。
これも 名句だらけ。
雁みるや 涙に濡れし 顔二つ 虚子。
干網の季節は? 24-1-11
夏目漱石の俳句に
配所には干網多し春の月 (はいしょにはほしあみおおしはるのつき)
・全集(昭和10年)で572-591の20句は「正岡子規へ送りたる句稿 その十一 一月二十九日 愚陀仏庵小集一題二句」として収める。
とあるようです。
ちなみに 干網 そのものには 季節はありません。
下記の和歌のように 秋にも 他の季節にも 登場します。
歌川広重の錦絵「金沢八景」 というものが あって それは
八景
平潟落雁 町谷村の南、平方の西なる鹽燒濱をいふ。
洲崎晴嵐 洲崎の民家連る所をいふ。
内川暮雪 Pが峰村の前の濱をいふ。
野島夕照 野島村の南へ出たる所、或はP戸の浦をもいふ。
乙舳歸帆 刀切村の東に船見ゆるをいふ。
P戸秋月 P戸の海上をもいふ。
小泉夜雨 釜利谷村の北の鹽濱をいふ。
稱名晩鐘 稱名寺の鐘をいふ。
金沢の方なら これが どこか お解りなんでしょう。
このうちの 一つに
野島夕照
獨羨漁翁是作家。 持竿盪漿日西斜。
網得魚來沽酒飲。 ○蓑高臥任堪誇。
夕日さす野島の浦に干網のめならふ里のあまつ家々
というような 和歌があるそうです。

古事記のものがたり―稗田の阿礼が語るゆかいな「日本の神話」
小林 晴明 (著) サン・グリーン社 発行 1500円
君が代 について 265Pに あります。最後です。
24-1-9
きみが代は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
この歌は、いざなぎといざなみ「き(男)・み(女)」が仲むつまじく「みとのまぐあい」をして子供を産み、いついつまでも 「き(男)・み(女)」の子孫が繁栄して、平和が末永く続きますようにと 石長姫(いわながひめ)さまが「子孫繁栄」の祈りを込めて唄った歌なので ございます。
新しい21世紀に生きる、いざなぎといざなみの皆さん。仲良く「まぐあい」して 良い子をたくさん生んでくださいね。
そして 表紙裏の 巻末の言葉です。
日本には、こんなにすばらしい神話があるのです。
世界にもたくさんの神話が残っています。
自分達の神話を 忘れた民族は滅びます。
だから決して忘れないで下さいね。
阿礼は1300年ぶりに、「古事記」を楽しく語らせていただきました。
こんどは、あなたが子どもたちに 語り伝えてあげてくださいね。
若い ご夫婦 二人で 作った本です。
とても 解りやすく 子供でも読めそうです。 おすすめ。
24-1-4 今年は 古事記が編纂されて 1300年 の年です。
今年は、西暦2012年。平成24年。そして皇紀2672年にあたります。
古事記が編纂されたのは、和銅5(712)年正月28日のことで、ちょうどいまから1300年前のことです。
24-1-2 嬉しいニュースです。 昨年末の ことですが。
2011(平成23)年12月28日、真宗大谷派(本山:東本願寺(京都市下京区))は、野田佳彦内閣総理大臣に対し、原子力発電に依存しない社会の実現に向けて、要望書を提出しました。
その要旨は、以下の通りです。
1、放射線量の測定・周知と除染活動
2、早急な避難措置(特に妊婦や子どもの避難措置です)
3、被曝された方への長期にわたる健康管理と生活支援
4、一刻も早い原発に依存しない社会の実現
中略
詳しくは こちらから。
薔薇、または陽だまりの猫
日本文化の 特徴は やはり 神道と仏教が 二つの両輪でしょう。
神道の代表は おおざっぱに言えば 天皇と お伊勢さん。
仏教は いろいろ ありますが 中でも 一番は 真宗です。
東本願寺が このように 意見を明瞭に 総理大臣に 要望書を提出した。
ということは 励ましに なります。
他の仏教界の 方たちも 是非 東本願寺さんに 続いてください。
国民の生命に 関することですから。
中略 本文に戻って。
一、原子力発電所事故による放射能飛散と被ばくの痛ましい現実から、原発の誤謬性を思い知らされました。未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原発に依存しない社会の実現を推進してください。
以 上
二〇一一年十二月二十八日
真宗大谷派
宗務総長 安 原 晃
内閣総理大臣
野 田 佳 彦 様
今年最初の ちょっと 寄道。 24-1-1
今年は、平成24年、紀元2672年、壬辰(みずのえたつ/じんしん)の年です。
「壬辰」の「壬(じん)」は、もともと糸巻きの心棒を描いた「I」型の字が原形です。
これに糸を巻き付けてふくれた姿をあわらしています。
膨らんだ姿ですから、女偏がつくと妊娠の「妊」の字です。
「壬辰」の「辰」は、もともとは古代において農機具として用いられた大きな二枚貝の貝殻をあらわしています。ですから農機具である「辰」の上に、「曲」が乗ると「農」になる。
ちなみに「曲」は、頭を使うという意味の漢字ですから、「農」は、知恵を絞り出して収穫効果をあげる、という意味なのだそうです。
さて、農機具である「辰」は、もともとは貝殻であり、自然の物です。
ですから「辰」の年は、自然の動きが時勢を引っ張る。
つまり「壬辰」は、自然の新たな息吹が膨らみ、あらたな時代が幕を明ける年、ということになります。
故に ひなやは 本年を 日本文化の再興元年。 と いたしまするーーーーーーうーーー。
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