絵34 塩川文麟 稲田に雀 \80.000.- 紙本
合せ箱 掛軸寸法 31.5×190cm 本紙寸法 30×134.5cm
鬼才 塩川文麟です。この作品の落款に
安政紀元の日作 文麟 印 とあります。
即ち 以下によりますと 安政紀元甲寅十二月五日、嘉永七年ヲ改メテ安政元年ト爲ス、 とありますから 安政紀元は 1854年ですから 現在2010年として 156年まえの 十二月五日に 描いたとしています。
このころの 塩川文麟は
1855年(安政2年) 新御所の建設に当たり「耕作図」と「新樹」を描く。
1858年(安政5年) 近江の日野で頼三樹三郎、宇喜多一宸ネどが江戸に拉致されるのを見る。その後十年近く近江に居をすえる。
1860年(万延元年)
皇女和宮降家ととのい、その手鑑用として近江八景を、また大樹公への御贈進用として絵巻物及び耕作養蠶図などを調進する。
、、、
盛んに 耕作図などを 手がけていたようで 安政紀元の日作 という 維新前夜の 塩川文麟の 気負いが 感じられます。
そんなわけで 資料としても 大事な作品ですが それだけでなく なんと 上手いと 思うのです。
〔嘉永明治年間録〈三〉〕
安政紀元甲寅十二月五日、嘉永七年ヲ改メテ安政元年ト爲ス、
十二月五日御達、於二京都一十一月廿七日(○○○○○○)年號改元宣下有レ之、安政改元、御徳日、禁中、〈卯酉〉准后、〈辰戍〉大樹、〈寅申〉
詔書仰詞、今年四月内裏炎上(○○○○)、加以六月地震(○○)、且近年異國船屡來(○○○○○)二近海(○○)一、依改以二嘉永七年一可レ爲二安政元年一、任二寛政例一令レ作二詔書一、被レ召二勘文一之内、御撰之分、文長、安政、安延、和平、寛裕、寛祿、保和、右七號之内、十一月廿七日、安政御治定宣下、勘文、群書治要(○○○○)曰、庶人安レ政、然後君子安レ位矣、東坊城從二位菅原聽長(○○○○)、以下略レ之、
塩川文麟
塩川 文麟(しおかわ ぶんりん、享和元年(1801年) -
明治10年(1877年)5月11日)は、江戸時代末から明治初期の日本画家。幼名は隼人、字は子温もしくは士温、号は初めは雲章、後に文麟、別に可竹斎や泉声答斎や木仏老人など、通称は図書(ずしょ)。